理事長挨拶
身体とこころの安心をお届けし、
一人ひとりにあった最善の対応を。
理事長 錦織 常雄
昭和33年に鹿島灘を望む風光明媚なこの平井の地に、すべての人々の安寧を願って鹿島更生園が設立されてもうすぐ70年を迎えようとしています。
この間、多くの利用者の皆さん、利用者のご家族、地域の方々、行政の皆様、そして多くの皆様の支えを受けた歴代の職員によってこの更生園はすばらしい時を刻んでまいりました。現代の社会は、国内にとどまらず国外の情勢にも大きな影響を受けざるを得ない複雑な様相を呈しており、我々のような社会福祉法人でさえ間接的な影響を受けております。今後も、将来にわたって様々な課題が提示されることと思いますが、全職員が一丸となって利用者の皆様の自己実現に何らかのお手伝いができますよう、懸命に取り組んでまいりたいと考えております。地域の皆様をはじめ、すべての関係者の皆様方のご支援ご協力をよろしくお願い申し上げます。
理事長 錦織 常雄
歴代理事長
初代 | 藤原 三之助 | 昭和33年 ~ 昭和35年 | |
二代 | 藤原 フジヱ | 昭和35年 ~ 昭和50年 | |
三代 | 藤原 ミチ | 昭和50年 ~ 昭和56年 | |
四代 | 藤原 キミヱ | 昭和56年 ~ 平成24年 | |
五代 | 村田 豊 | 平成24年 ~ 令和4年 | |
六代 | 錦織 常雄 | 令和4年 ~ |
沿革
昭和33年12月15日 | 社会福祉法人鹿島更生園設立認可 生活保護法による救護施設(定員50名)事業開始 |
昭和36年1月1日 | 緊急教護施設(定員50名)事業開始 自由契約施設 鹿島療育園(定員32名)事業開始 |
昭和37年4月1日 | 救護施設増築(定員24名) |
昭和37年9月1日 | 鹿島療育園増築(28名・定員合計60名) |
昭和38年4月1日 | 緊急救護施設増築(定員50名)(定員100名となる) |
昭和38年8月15日 | 職業訓練作業場 スレート瓦製造・ブロック製造・クリーニング作業場等を整備 |
昭和39年4月1日 | 緊急救護施設から鹿島更生園救護寮(救護施設 定員100名)に変更 |
昭和39年6月30日 | 救護施設増築(定員50名)、知的障害者更生施設に変更し、昭和39年7月1日鹿島更生園援護寮(定員120名)事業開始 |
昭和40年8月1日 | 鹿島更生園援護寮を増築(定員150名) |
昭和51年4月1日 | 鹿島更生園援護寮の定員を減員 (定員140名) |
昭和52年3月31日 | 鹿島療育園閉鎖 |
昭和62年4月1日 | 国庫補助事業により鹿島更生園救護寮全面改築(100名 2637.88㎡) |
昭和63年4月1日 | 作業訓練部 パレット作業開始 |
平成5年3月31日 | 作業訓練部 スレート瓦製造中止、椎茸栽培開始 |
平成9年10月1日 | 障害児者地域療育等支援事業開始 |
平成12年4月1日 | 国庫補助事業により鹿島更生園援護寮第一期改築整備(援護2寮 定員50名 1757.93㎡) |
平成13年3月31日 | 作業訓練部 ブロック製造中止 |
平成16年3月1日 | 国庫補助事業により鹿島更生園援護寮第二期改築整備(援護1寮 定員56名・3寮 定員34名 計定員90名 2983.77㎡) |
平成18年10月1日 | 援護寮短期入所事業開始 援護寮相談支援事業開始 援護寮地域活動支援センター事業開始 |
平成21年4月1日 | 作業訓練施設を移転整備 |
平成22年4月1日 新体制移行 |
障害者自立支援法による障害者支援施設 (生活介護・施設入所支援 各定員140名)の指定を受け事業開始 |
平成24年3月10日 | 鹿島更生園救護寮・援護寮のスプリンクラー整備を完了 |
平成25年5月1日 | 一般相談支援事業、特定相談支援事業、障害児相談支援事業の指定を受け、事業開始 |
平成30年12月28日 | 援護寮1寮・2寮空調機改修整備 救護寮空調機新規整備 |
平成31年3月31日 | 援護寮職業訓練作業場 クリーニング室・和洋裁室等新築整備 救護寮倉庫棟整備 |
情報開示
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役員一覧
評議員 | 田口 伸一 |
評議員 | 飯塚 俊雄 |
評議員 | 石津 博康 |
評議員 | 神尾 政彦 |
評議員 | 今井 稔隆 |
評議員 | 岡 武憲 |
評議員 | 永田 貴子 |
評議員 | 栗林 京子 |
評議員 | 宇野 則子 |
理事長 | 錦織 常雄 |
理事 | 岡見 安定 |
理事 | 髙城 茂 |
理事 | 塩入 豊子 |
理事 | 金子 悟 |
理事 | 戸島 正巳 |
理事 | 𠮷川 常隆 |
監事 | 東 俊二郎 |
監事 | 成井 正 |